思い切って任せる

 社員30名・創業25年の不動産業の社長から相談がありました。

「そろそろ後継者に事業継承したい。身内が継承しない中、ベテラン社員が独立したり転職したりと、後継者探しに苦慮している。これはと思う人材にはなかなか出会えない。協力してもらえないか」

 

 整理すると問題点は次のとおりでした。

⑴社長は後継者を探していると話すが、実は愛着のある会社を他人に譲る意思が固まっていない。

⑵全社員の前で、社員A男に社長職を引き継ぐことをほのめかしているが、具体的に行動していな

 い。

⑶⑴が影響して業務を任せきれず、A男を育てる機会を設けていない。

 

 一般的に創業社長は、事業をゼロから立上げ発展させた自負心があり、人に意見をされたり指図されることを嫌います。一方で、自ら気付いたことや感じたことに対しては、素直に行動します。社長は言葉と行動が矛盾していました。今回は、社長自らがこの点に気づくよう誘導することにしました。社長候補のA男を交えて定例ミーティングを開き、解決策を発見できるような環境を整えたのです。

 

 A男は定例ミーティングで自分の気持ちを直に伝えました。先行きが見えずに既に10年が経過したこと、社長から会社を継がないかと話は振られるものの経営上の肝となる業務については触れさせてもらえないこと、今のままでは独立や転職を含め身の振り方を真剣に考えなくてはならないと感じていること、などでした。

 

 社長は、ミーティングの当初は、腕を組みながらのけぞり、不機嫌な様子でした。しかし、社長自身もこのままでは何も変わらないと焦りを感じていたようです。経営者仲間に相談するなど、回数を重ねるうちに自己の振る舞いの反省点や権限移譲の大切さを口にするようになりました。労使間の緊張も解け、ついに社長は事業継承への工程を示すようになりました。

 

 社長の行動も変化しました。現場に顔を出すようになり、A男が身につけなくてはならない経営者としての心得や振る舞いなどの指導を始めました。

 

 A男は精力的に吸収し日々成長しており、数年後の社長交代が期待されます。

 

 近年、中小企業の社長の高齢化が進む中、子供たちは既に他社で活躍し、事業継承を選択しないケースが増えています。社長は、後継者探しに思い悩む一方で、身内以外へ会社を譲る決心がつかずに能力が高い社員は独立または転職してしまいがちです。

 

 

 社長が早期に意思を固めることは大切です。後継者候補である本人ばかりでなく、他社員も昇格の希望を抱きやすくなり、社員全体のモチベーション向上に繋がっていくからです。こういった下の立場の者に任せる姿勢は、後継者探しの社長のみならず、自らの右腕となる部下を育てたい幹部社員にも求められるものと感じる出来事でした。

 

第一法規『CaseAdvice労働保険Navi 202111月号』拙著コラムより転載